加害の歴史と向き合う~日本を再び戦争ができる国に変えるな!
戦後70年目を迎え、日本軍の加害の歴史を知り、歴史から学ぶことで次の行動を考えたいと早稲田にあるwam資料館に行きました。ここは日本軍慰安婦についての資料や証言が集められています。
慰安婦となる女性を集めるのに、朝鮮や台湾では「お金が稼げる」「給仕の仕事」「工場で働く」といった言葉でだまし、慰安所に送り込みました。姜徳景(カンドッキョン)さんのように女子勤労挺身隊として働かされていた富山県の軍需工場を逃げ出したところを憲兵に捕まり、力づくで慰安所に連行された女性もいます。
中国やフィリッピンなど、日本軍が「抗日的」と見なした地域では、軍人が無理やり連行した例がほとんどです。フリッピンのマリア・ロサ・ヘンソンさんは、1943年、検問所を通ろうとした時に呼びとめられ、むりやり駐屯地に連行され日本軍が撤退するまで、強かんされる日々を送りました。逆らったり逃げようとすると、大変な暴力を振るわれ、その後何年たっても慰安婦として過ごした時々での心的外傷によって悪夢にうなされる日々を過ごしています。
元「慰安婦」たちは戦後数十年たってやっと名乗りをあげ、裁判をおこし、自らの辛い体験を証言していますが、それは人間性を取り戻す戦いでした。
1993年に発表された河野談話では、「当時の軍当局の要請により、長期にわたってかつ広範な地域に慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在」「慰安所の管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接に関与」したことを認めました。また「本人の意思に反して集められた事例も多く、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」と数々の資料や証言から結論づけました。
現在はどうでしょう。安倍首相は、「官憲が家に押し入っていって人を人さらいのごとく連れて行く」という「強制性」はなかった、と述べました(2007年3月5日参議院予算委員会)。さらに慰安婦問題は、昨年の朝日新聞の吉田証言誤報をきっかけとして、日本軍による強制性はなかったとする動きがあります。
解釈や国家観によって歴史を変えようとすることは恐ろしいことであり、日本が国として慰安婦問題に向き合ってこなかったことは、国連からも勧告を受けています。
安倍首相や周辺の歴史観が、再び日本を戦争ができる国へと変える原動力になり、昨年7月の集団的自衛権の閣議決定、さらに今国会の安保法案提出に至りました。こうした動きは、アジア各国にとっては、戦闘に至る「抑止力」になるより、加害者としておこなった過去の歴史を思い起こさせ、国際的にも孤立の道への第一歩になります。
わたしたちがすべきことは、戦時における加害と被害の歴史に対し真摯に向き合うことです。
歴史に学ぶことで平和を守る活動へと繋ぎ、今国会での安保法案の廃案・撤回を求めます。