日大光が丘病院、撤退 その2

2011年7月21日 13時35分 | カテゴリー: 活動報告

議会と区民が知らなかった

20年にわたり地域に根づき運営されてきた病院が一枚の通知でなくなるなんてと思っていたところ医療・高齢者等特別委員会では2010年12月1日の『日本大学付属練馬光が丘病院に関する打ち合わせについての確認事項』の用紙が資料として提示されました。

文書の中の今後の協議についての項では
「付属病院の運営期間については区(2012年3月31日まで)と大学(2011年3月31日まで)の見解が異なるが、大学が付属病院を廃止する意向を変えない以上、2012年3月の廃止に伴って生じる地域医療の混乱を防ぐためには、新たに主体となる医療機関へ引き継ぐことが望ましく、区と大学の双方で引継ぎのための協議を行い、引継ぎに伴う各事項については2012年3月末日までに解決するものとする。」とあります。

文書は練馬区健康福祉事業本部長と日大本部管財部長の名で交わされています。
この文書から2012年3月の日大撤退は、昨年末から練馬区の行政側と日大との間では周知の事実であり、もちろん区長も知っていたことなります。とすると、2011年7月4日の弁護士名の日大撤退を宣言する文書は、日大は撤退すると2010年12月に練馬区に確認したけれど、具体的に動く時期が来たので通知をしたということになります。
12月に決まっていた撤退を区民に知らせないために、議会にも報告されませんでした。7月15日の医療・高齢者委員会で初めて議会に報告され、区民に知らされたのです。

区長は第二回定例会の所信表明の中(6月14日)で、「区内に3病院しかない200床以上の規模の病院を区西部に2箇所増やし5病院とする」と話しています。
日大光が丘病院は来春には撤退すると分かっていたのに、5大病院構想を述べた区長の所信表明っていったい何だったのでしょう。なぜこの時期の公表なのでしょう。半年間議会・区民に知らせずにいたのは、ひそかに次の運営団体を探っていたのでしょうか。
20年間地域の医療を支えてきた光が丘病院の撤退は、日大と練馬区の話し合いのみで決定されたこと、区民は置いておかれたこと、それが地域医療を支える病院という機関に対しての決定であった点で憤りを感じます。

練馬区は病院開設から光が丘病院に対して多額の支援をおこなっています。
近年2009年9月の日大理事長名の文書では、大学本体の経営が平成19年から収支が赤字に転じ、主たる原因は付属病院を含む医学部財政の大幅な支出超過にある、光が丘病院は開設以来85億円の支出超過の状態であると記され、その上で経営支援の依頼がされています。
結果、練馬区は予算案として議会も関わり2009・2010年度の賃貸料を免除しています。光が丘病院に対するこれまでの賃貸料免除額は119億円にのぼり、計32億円の工事費を支援してきています。

日大は撤退に対して練馬区と交わした練馬区とは賃貸関係であること、賃貸契約は民法604条により20年で終了することを根拠に撤退を正当化しています。練馬区と光が丘病院は単なる賃貸関係でしょうか。
日本大学と練馬区が交わした『日本大学医学部付属練馬光が丘病院の設置運営に関する基本協定書』の「付属病院が地域医療の充実に資するとともに、診察・教育および研究の向上に寄与することを目的とする」とあるからこそ、また事実、練馬の医療を支える重要な機関であると認識するからこそ、いままで多額の支援をおこなってきたのではなかったのでしょうか。
日大光が丘病院の撤退はいままで築いた区民との信頼関係を踏みにじる、教育機関としてあるまじき独断です。

練馬区は今後、区民に対して、すみやかで納得のいく情報公開をおこなうべきです。また日大に対し、断固たる態度をとるべきであると考えます。